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脱原発世界会議

加藤登紀子さん特別インタビュー
「脱原発へ、21世紀の生き方をもとめて」

脱原発世界会議に真っ先に賛同いただいたアーティストの1人である加藤登紀子さん。
実行委員長 吉岡達也とお聞きした彼女のお話しは、震災から命と文明のあり方、さらに憲法から原発を生み出した民主主義、デモから新しい生き方まで、イメージの大きく広がるものでした。
元々、インタビューの場ではなかったのですが、そのお話しの力強さに急遽、この登紀子さんのコトバを皆さんに届けることとなりました。
開催直前の今、登紀子さんの言葉は、当日の会場で僕たちが未来に踏み出すエネルギーへとつながっていきます。

特別インタビュー:加藤登紀子さん
「命結」は私の震災に対するキーワード

私はね「命結(ぬちゆい)」という言葉を、3月10日に思いついたんです。
震災が起きる前の日に。
資本主義の発展が限界を迎えようとしていて、大きな企業が潰れたり、何百万人の人が失業したり、無縁社会だと言われ、人が一人ぼっちで死んでいく。
いったい今の豊かさはなんなのか。どんどん格差が広がり、家族が消えて、命の意義が失われて、人々が孤独に死んでいく。そういうことが平気で起こってしまう世の中になってしまった。
さらに、その中で本当に虐げられているのは若い人達で、未来を背負う若者達がちゃんと生活基板を持てない社会でいいのか、と。そういうことを考えていて、私は「命結」という言葉に行き着いたんです。
そしてまさにその時に地震と津波が来て、そのまま「命結」は私の震災に対するキーワードになりました。

もう一つ、「命結」という言葉は、私の中で「農」の世界にもつながっていきます。
「農」には全ての命が繋がっているのね。震災の後「絆」という言葉がはやっていてそれもいいけれど、でも「絆」という言葉で足りるのかしらって思うんです。
私たちは震災後の今こそ「農」という生き方の根源まで戻らないといけないんじゃないか。
生きとし生けるものが命としてつながっているっていうことを実感しないとダメなんじゃないかって。

「命」は元々“生きるチカラ”を持って生まれてきている

たとえば憲法に「すべての人に生きる権利を」ってあるけど、それって誰が与えてくれるの?「命」って憲法に守ってもらうものなの?って、思うんです。
「命」は元々“生きるチカラ”を持って生まれてきているんです。それは権利として与えられるものではないんですよ。命が生きるチカラを持っているから、この社会も存在できているんだから、命が国に権利を与えてるという方が正しい。命の方がえらいのよ(笑)。
太陽があって、土があって、そこに命が育つ。そして生きる命を持つ草を食べてまた生き物が成長する。命は自分に力があるから生きているの。権利があるから生きているんじゃないの。
国が命を憲法で保証しているという、その国を誰が保証してるのか? 貨幣と一緒でとても不安定なものなのよ。
貨幣なんて、ある日戦争が起きて負けてしまえば、円は一銭の価値も亡くなっていまう。そんな抽象的で曖昧な目に見えない「国」というものに依存するなんて不安でたまらないし、「命」はそんなひ弱なものじゃないでしょう。

特別インタビュー:加藤登紀子さん
日本がアジアでよかったと本当に思うの

西洋近代主義は人間が自然より強いということを目指して、自然と長い時間で向き合ってきたアジアとアフリカの歴史を無視しました。何千年もやってきたアジアの文化を否定したわけです。
彼らにはアジア人は未開の人に見えた。そして、アメリカが世界を先進国と発展途上国に分けたんです。
でもちょっと失礼よね?「発展途上国」なんて言わないでほしい。「長い歴史の国」と言い改めてほしい。短い歴史の国が、長い歴史の国をめちゃくちゃにしているだけなんです。
私は日本がアジアでよかったと、本当に思うの。
日本でもちょっと田舎に行けば、そこかしこに古い時代が、長い歴史が息づいていて、そこにかえって希望がある。それが嬉しくてたまらなくて、そういう世界を本にしたのが「スマイルレボリューション」なんです。
アジアには圧倒的に豊かな自然があって、その中で十分に生きていけるけど、近代主義は自然から得られるものが少ない西欧の現実からスタートしているんです。アメリカに行くとわかるけど、ほとんどが砂漠ですよ。ヨーロッパは牧草地ばかりのやせた土地。だから帝国主義にならざるを得なかったの。食べ物を得るためにね。
私の友達のアフリカ人は彼らは可哀想な人だって言って、よっぽど飢えていたのでしょう、って笑うんです。

60年安保に反対した人が、なんで「原発」を作ってしまったのか?
「反」ではなく、未来を「創る」ことをしたい

そういう世界の歴史の中で、戦後一度「ゼロ」になってしまった日本は、這い上がっていくわけ。その先には60年安保の運動もあって私たちも頑張ったんだけど、それは結局、敗れてしまいました。
それにしても、60年安保に反対した人が、なんで原発を作ってしまったのか?とは思うのね。
全く同じ人間が作っている部分があるんです。ベトナム戦争の反戦をやった人と同じ人物が、原発を作っている。60年安保や反戦をやったほとんどの大多数の学生は結局、原発まで流れていってしまった。
やっぱり、チカラを持ちたかったんでしょうね。チカラへの願望がとても強かったんだ、と思うんです。

でもそんな中で、私の夫の藤本敏夫だけじゃなく、反体制の志をどう未来につなごうかと、苦しみから抜けていった人も沢山いました。
私の夫は「私は今まで“負”の戦いをしてきた。それを“プラス”に変えて僕は死にたい」と言っていた。「反」ではなく、未来を「創る」ことをしたいと言ったんです。否定するのではなく、肯定できることを示そうとしたんです。
政府に怒る、東電を殴りに行くみたいなことは、やってもいいけど、あんまり有効じゃないのよ、悔しいけどリスクも大きいし、、、。

特別インタビュー:加藤登紀子さん
どんな時代でも真実を伝えてきたのは「マイノリティ」
私が大学の時にデモの中で

私は、実は民主主義が嫌いかもしれないの(笑)。
私が大学の時に、政府が直接大学を管理できるって法律に反対して毎日ストライキをしていた。でも、コンサバな学生も多かった。学生の本分として、学問を放棄することは許せないし、ストライキは学校ですべきでないって。
その人がね、スト決行が決まったあと、デモ隊の中にいたの。驚いて私が彼に「あなたはどうしてそこにいるの? だって反対していたんでしょう?」って言ったら。彼は「君は民主主義が全然わかってないな。民主主義っていうのは多数決で決まったことに従うんだよ。」って。そう、そのコンサバな学生に言われたわけ。
私はそういう民主主義が理解できないの。民主主義とはマイノリティの意見も尊重するものであるべき。でもそういう、多数に従わなければいけない、っていう弱さが民主主義制度にはあるのね。

どんな時代でも真実を伝えてきたのは「マイノリティ」だと私は思っている。ゲバラは死んだけど、彼の真実は私達の中で生きている。
多数は強い、多数派が真実だっていうのが民主主義の一面で、それが危険なのは歴史を見てもあきらかでしょう?
少数派は多数派に意見を押し切られても主張し続けていかなくてはいけない。デモに反対していたのに、決まったからデモをしていた人を私は絶対信用しない。

21世紀の生き方を求めて

民主主義っていうシステムにはまだまだ問題があるんです。
一人一人が自由に発言できて、発想できる。それは理想なんです。だけどその理想を具体的にイメージできているのは、まだマイノリティなんです。
それはある意味、21世紀の生き方を求めているといっていい。ひとりひとりが腹を括って自分の生き方を築いていくってことが必要なのよ。
20世紀までの、チカラでチカラを倒していくという戦い方は、もう終わっていくと思うんです。

今は何よりこの社会が脱原発を目指していくことが急務です。すでに放射能汚染されてしまったこの日本で正しい答えを見つけるために、社会が丁寧に命を守っていくための知恵を集めていかなきゃね。
本当は、原発が必要か必要でないか?、なんてやりあってる場合じゃないと思う。
小出さんなんかも早くからおっしゃっていますが、原発というものの恐ろしさの前に、みんながもっと厳粛な気持ちを持っていなくちゃいけないと、思うんです。

特別インタビュー:加藤登紀子さん